悩みがなくて羨ましい
「悩みがなくて羨ましい」タグの説明はありません。
これは、シス女性の鈍感さからきています。普段ジェンダーを感じる場面がおしゃれくらいしかないんです。シスジェンダー以外が、おしゃれ以上の深みがある悩みを、ジェンダーに関して抱えていると想像できない。(2022年11月6日)

タグ: アライ TERF シスジェンダー 侮蔑・非人間化 悩みがなくて羨ましい
https://twitter.com/astria_psycho/status/1589183727250591744
X(Twitter)でシェア (いいね!は誰でも押せます)
546
『犯罪目的で女装する男』と『性自認が女性である男性』の区別が全くつかない…というよりも、それを『少しも理解しようとしない』未開人のごとき思考の持ち主で溢れ返っている…。(...) 率直に言って、生まれてこの方性自認に悩んだことのない『ノーマルな人』が羨ましいですね。(2022年12月27日)

タグ: トランス女性差別 性自認・心の性 ジェンダー規範・ステレオタイプ 悩みがなくて羨ましい 事前判別不能 未開人
X(Twitter)でシェア (いいね!は誰でも押せます)
953
ぼくはたとえシス女で生まれたとしても、萌えもロボもクルマも昆虫もゲームもテックも好きで、「うっせぇわ!」って言う側なんでな。つうかそれで済むんだから失礼ながらシスの悩みはお気楽なもんだと思う。こちとらは「ジェンダー規範に従わずに"女装"する」で済む話じゃないんすよ(2023年1月13日)

タグ: シスジェンダー 当事者 ジェンダー規範・ステレオタイプ 悩みがなくて羨ましい
X(Twitter)でシェア (いいね!は誰でも押せます)
556
弱者女性が心配、と言いながら別の弱者(性的違和者〜トランスジェンダー)をぶん殴ってるすごいツイートだ…… 自認性という概念を理解できないってことは人生において自分のジェンダーに疑問持ったことがない/悩んだことがないということなので、羨ましい限りですね……(2023年2月4日)

タグ: 女性蔑視 侮蔑・非人間化 性自認・心の性 悩みがなくて羨ましい
X(Twitter)でシェア (いいね!は誰でも押せます)
493
おTERF様におかれては、圧倒的なマジョリティ/強者であるシスジェンダー(女も男も含む)は、マジョリティ特権を空気のようにほしいままに享受できるので、自らの性自認が出生時に割り当てられたジェンダーと合致するかどうか意識する必要すらないと…恐れ入りました😳(2023年7月27日)

タグ: アライ TERF シス特権 シスジェンダー 悩みがなくて羨ましい
X(Twitter)でシェア (いいね!は誰でも押せます)
587
性別は男女二つだ、と。そう言えることが羨ましい。自分(ノンバイナリー)だって、どちらかだと思えてどちらかの生活を送れた方がきっと楽だっただろうにそうなれなかったのだから。二つだと言い切れる特権が羨ましい。(2025年1月22日)

タグ: シス特権 当事者 性別 悩みがなくて羨ましい sexとgenderの恣意的混同 ノンバイナリー
https://megalodon.jp/2025-0123-2002-12/https://x.com:443/katorikatakori/status/1881897928039829904 引用 https://x.com/search?q=url%3A1881897928039829904&src=typed_query ◇ http://archive.today/2025.01.23-163114/https://x.com/katorikatakori/status/1882086202272305500 ◇ http://archive.today/2025.01.26-004700/https://x.com/katorikatakori/status/1882273046138171880 引用 https://x.com/search?q=url%3A1882273046138171880&src=typed_query
※ 「社会的に生活している性別を無視しようとする」 「実際に私が体験している性別」 ⇒「ジェンダー」なら意味が通る。この人の言っている「性別」は「ジェンダー≒性自認・ジェンダー表現」であって、生物学的性別ではない。社会的に「性別」が問題になる場面は、①医療・スポーツ ②男女に分離して運営することに社会的合意が得られている場面 (トイレ・風呂・更衣室・寝室、社会的機会の平等を担保するための施策など) だけで、これらの場面で「ジェンダー≒性自認・ジェンダー表現」は無関係。好きに名乗って好きな服を着て好きに振る舞えばいいが、他人には不当な干渉をしない義務があるだけで、お互いに関係を築く労力を払わない限り「ジェンダー≒性自認・ジェンダー表現」に付き合わされる謂れはない。 ※ 本人の性別に社会的に関連付けられたジェンダーステレオタイプに基づいて、外見・人格を貶めたり、社会的選択肢を制限する人に遭遇した時、投稿者のような人は「自分はノンバイナリーなので」 ジェンダーステレオタイプに制約を受けない自己表現・社会的選択の自由があるという正当化の仕方をすると思われる。架空の権威をでっちあげてやり過ごすことになる。本人の性別に社会的に関連付けられたジェンダーステレオタイプに基づいて、外見・人格を貶めること、社会的選択肢を制限することが不当なのは、単に人格権の侵害だからであって、被害者が「シスジェンダー」なら許されるわけではない。それでも自分に対する被害が止むならいいかもしれないが、「自分はノンバイナリーなので不当だが「シスジェンダー」なら平気なのだろう」という他人に対する人格権の侵害を容認する態度が透けて見えるので ( 「どちらかだと思えてどちらかの生活を送れた方がきっと楽だっただろうに」 「特権が羨ましい」 )、自己中心的で姑息。また自分の選択を「ノンバンナリー」という概念に仮託することで、赤の他人に承認を要求していることが幼稚で厚かましい。 ※[参考]「Xジェンダー 日によって性別が変わる高校生 子を責めてしまった母が立ち上げた「LGBTQ親コミュOkinawa」思いや悩みを共有し個性輝く」TBS NEWS DIG (2025年1月16日) http://archive.today/2025.01.17-020344/https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1671701?display=1 ジェンダーステレオタイプに影響を受けた干渉をしがちだった親が、子供の個性を受け入れるためには「Xジェンダー/ノンバイナリー」という概念はそれなりに意味があるかもしれない。しかし子どもにとっては、こと10代後半から若年成人と言われる年頃の個人にとっては自立の妨げになる。他者からの人格権の侵害に境界を引けるようにならないと、先々困ると思われる。
X(Twitter)でシェア (いいね!は誰でも押せます)
376