「女性」という当事者性によって割合と無反省にやってこられたところにトランス女性が"現れ"て(ずっと存在していたのに認識できていなかったにすぎないわけだが)、自分が「女性」として認識してきたアイデンティティが「シス女性」だったと気づく(2020年2月20日)
(2023年12月13日 14:29:23)
ここ数年、当事者性の無敵状態みたいなものが気になっている 何かしらの被害に遭ったことやマイノリティとされる属性を持っていることを基に、ジェンダー論にもとる内容を無反省に発信しているケース シーンの動向を注視してきている人なら思い浮かぶものがあると思う / 「女性」という当事者性によって割合と無反省にやってこられたところにトランス女性が"現れ"て(ずっと存在していたのに認識できていなかったにすぎないわけだが)、自分が「女性」として認識してきたアイデンティティが「シス女性」だったと気づく / そこの認識の変革の折り合いがうまくいっていない人はきっと少なくないのだけど、踏み込んで検討を深める前に被害者に声を上げさせることになっている 責任を感じるのもお門違いなのかもしれないが、個人として自分で自分に納得いかない顛末ではある 端的にいうとダサすぎる / アカデミシャンにも確信を持ってトランスパーソンに対する誤謬を掲げる人が少なくないらしい今の状況がずっと不思議だったんだけど、思えば本邦で一番有名な研究者がバリバリにホモフォビックなこと著書に書いてたりするので、そういうところから来てるのかなというのはある / この辺思うことある方お話したいです[https://twitter.com/VolumeToneTone/status/1230488513562284032] (2022年11月8日 16:54:39)
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