当事者の個々の具体的状況と関係なく一律に「必ずどこのトイレを使うべき」というルールを押しつけないことが、私が考える、トランス当事者の尊重です。本人がトランスと言いさえすれば女性トイレを使わせるべき等ということでは全くありません。(2021年12月14日)
(2023年12月13日 14:29:23)
トランス女性の多くは、以前から、当事者個々の具体的状況と、その女性用スペースの性質との相関関係により、周囲に見咎められる等の社会生活上のトラブルを起こさないか見極めながら、状況に応じ多目的トイレ女性トイレ男性トイレを使っています。これがまず前提事情です続 / 私が当事者のお話等から理解しているのは、たいていの当事者は自分がどう見られるか、女性スペースにいることを見咎められるような状況ではないか慎重に見極めようとしていて、どんな状況でも女性トイレを使いたいとこだわっているのでは全くないということです。不審がられるのは通常避けたいからです / 当事者の個々の具体的状況と関係なく一律に「必ずどこのトイレを使うべき」というルールを押しつけないことが、私が考える、トランス当事者の尊重です。本人がトランスと言いさえすれば女性トイレを使わせるべき等ということでは全くありません。そして、 / そのような意味でのトランス当事者の尊重をすることで、女性が性暴力に遭うリスクが高くなると考える理由はないと思います。今までもずっとそうだったわけですから、今までと特に変わらない、と考えます。トランス当事者の権利を尊重すると性暴力リスクが高まるという懸念の理路は、おそらくは、 / ①「トランス当事者の尊重をする」というのは、常にどんな状況でも女性トイレを使用したいと当事者が望んでいるというような誤解と、②女性トイレで、男性かも?と不審に思っても、トランス女性である可能性を配慮して通報を控えざるを得なくなるという誤解その他幾つかの誤解を前提にしているのでは / ①が誤解であるとは上述しました。人によっては男性トイレにいると「ここ男性トイレですよ間違ってますよ」と言われるような、女性と見られる方もいるわけで、そういう方とは、気づかないだけで今までも女性トイレですれ違っていたりするのです。これから急に新たにそうなるというわけではない訳です続 / ②女性トイレで、男性かも?と不審に思っても、トランス女性である可能性に配慮し通報を控えざるを得なくなるというのも誤解です。そもそも、男性かも?と感じた時、可能性としては、ボーイッシュな外見のシス女性、女装してるシス男性等の可能性もありトランス女性とは限らないわけでもありますが、 / 周囲は外見だけではなんともわからないですし、不審に感じれば通報を控えるべき理由は今までもこれからもありません。トランス当事者を尊重するということは不審に感じても通報を我慢すべき、は誤解です。通報した結果、性犯罪者かもと思ったが誤解だった、ということはあるでしょう。その場合、 / 疑われた側はそれは不快だし傷つくでしょう。望ましい事態ではないですが社会での共同生活ではやむを得ないです。性暴力が起きないよう小さな不安でも声をあげることは奨励すべきと私は思います。結果誤解であれば、疑ってすみませんというしかないですが、それを過剰に責めたりしない世論作りも、 / 性暴力を抑止しやすい社会の土壌作りどは。性犯罪者かと疑われたのがボーイッシュなシス女性という場合も嫌な気分でしょうが、もしトランス女性だった場合その心情は私の想像を超えるのではと思います。まさにそういう思いをしたくないから、多くのトランス女性は女性トイレ理由を慎重に判断しています / 次に「女性の安全の担保はどのように担保されるのか」というお尋ねですが、このお尋ねの仕方は、(トランス当事者を尊重するということは今までとは違うリスクがあり得るが)その場合の担保は?という趣旨と理解しました(違うならご指摘下さい) 。そうすると、前述の通り、 / トランス当事者を尊重することで女性スペースにリスクが増えるということではないので、「リスク増加を踏まえた安全の担保は?」という問いは前提を欠くと思います。ただ、トランス尊重によって増加するわけではしなくても厳然としてある性暴力リスクをいかに減らせるかは私もずっと関心事です。 / トランス当事者の権利尊重とは別問題として、性暴力対策はずっと私の関心事です。中長期的には、包括的性教育の普及や、第三者介入の具体的なやり方のワークショップの普及も大事でしょうし、社会のレイプカルチャー的風土をなくすべくメディアのありようも問うべきでしょうし、 / 被害者ではなく加害者を生まないために何をすべきか、社会全体で考え実践すべきと思います。トランス当事者の尊重とは別個のテーマですね。まさに別個で、どちらも重要な人権課題であり、優劣つけるような性質のものでもなく、矛盾もしない、ということです。 / 女性トイレの安全につきあえてトランス当事者尊重というテーマに絡めていうならば、性犯罪目的で立ち入った人が「トランス女性」と自称さえすればそれだけで警察はひるんでしまい何もできないというのは大きな誤解だと広めることは、そういう弁明を使おうと企図することを抑止する意味で重要と思います / 前述もしましたが、不審に感じたら、声をあげることを躊躇しなくていいとエンパワーすることは大事ですし、その声が軽んじられない社会を作る必要もあります。そもそも不審に感じるような事態発生をいかに抑えるかももちろん大事です。日本社会が今でさえ性被害に本当に冷淡なので、 / 社会が今、性被害に本当に冷淡なので、新たなリスクが増えるのではと不安で警戒する方が少なくないのだと思います。性暴力への不安感をもつこと自体は当然で何も非難されるようなものではないです が、トランス当事者の尊重とは上述したような意味なので、性暴力対策とは何も矛盾せず両立するものです / 「トランス当事者の尊重」の意味を誤解し、②不審に感じることあっても、咎めたら尊重してない、差別だて言われるんでしょう?」と思ってしまうのは、性暴力を恐れる声が軽視され続けてきた負の経験に裏付けられている部分もあると思う。本当に負の経験が累積しているから。/ 性暴力を恐れる人にとって、今の社会は本当に冷たい地獄だと思います。上記に書いた意味での「トランス当事者の尊重」をしても、その地獄レベルは変わらない(それにより更に地獄になるわけではない)ということです。性暴力対策を強めたいですし、具体的なことは例えばということで上述しました。 / 「怖かったら通報すればいい、ではない。フリーズしてしまい通報できるとは限らないし、通報しなくてはいけないような状況自体が恐怖である」というのは全くもっともで私もそう思うわけですが、それについてはこちらで書きました。[https://twitter.com/katepanda2/status/1532528880841793536] (2022年11月8日 15:29:45)
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