家父長制の維持を望む宗教右派が広めたのが「LGBTの権利を認めると女性スペースにトランス女性が入り込んできて、女性達の安全が保てなくなる」というデマです。そして「トランス女性は女性ではない。あくまで男性だ」と続きます。これはトランスの人々を否定する差別です。(2025年7月23日)

(2025年7月23日 16:01:20)
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※「 「「女性スペースを求める」という言葉が、トランス差別の文脈でてきてきた言葉であるため受け入れる訳にいかないのです。」 ⇒性自認・ジェンダー表現・GIDの診断を受けていること・法的性別などを理由に、男性による女性用エリアの使用を主張し、反対する女性が差別者として糾弾されたため、ルールの明確化を求める声が上がるようになった。確かに「トランスジェンダー」を含め、女性用エリアからの男性の排除を求める声ではあった。しかし、現時点では男女に分離して運営すべき施設や場面があると認めるならば、「受け入れる訳にいかない」と言うのは解せない。既存の社会通念に基づく施設運営を支持する声を、マイノリティに対する差別として曲解し攻撃している。 ※「まず同性婚や、選択制夫婦別姓への理解が深まり法改正を、という流れになった際、家父長制の維持を望む宗教右派が広めたのが「LGBTの権利を認めると女性スペースにトランス女性が入り込んできて、女性達の安全が保てなくなる」というデマです。」 「そして普段から男性による性加害に悩まされている一分の女性は、このデマを信じました。」 ⇒なぜか同性婚・選択的夫婦別姓とLGBT理解増進法をいっしょくたにしている。LGBT理解増進法における「性自認の尊重」がどのようなことなのか具体的に示されなかったため、疑問と批判の声が上がった。「性自認の尊重」 があらゆる場所で希望する個人を異性として扱うことであるなら、「女性スペースにトランス女性 (男性) が入り込んできて、女性達の安全が保てなくなる」というのは起こり得る事態のひとつであり、提示されてしかるべき疑問だった。いわゆる 「宗教右派」と呼ばれる勢力による批判もあったのかもしれないが、日常生活において実際に影響を受ける女性からの批判の声も大きかった。投稿者はそれをあくまで「デマにだまされた」として、女性の問題意識と主体性を否定している。非常に失礼。「あくまでも悪いのは宗教右派」という体裁で女性を中傷している。 ※「ただアカデミアに近い女性達や、左派の男性達は、それらは欧米でも宗教右派によって流布されてきたデマと同じであり、実際のトランスの人々に危険はない、と主張しました。しかし、デマを信じた女性達には、それが、実際に被害にあうことのないインテリの傲慢と感じられたようで左派は女性の恐怖を理解していない。」 ⇒確かに日常生活で実際に影響を受ける女性の声が宗教右派のデマによる扇動の結果とみなされ無視されることは、欧米でも似た状況にあったようである。問題にされているのは、主に「男性の女性用スペースやサービスの利用を公認すること」だが、それを「トランスジェンダーである個人のリスク」 に論点をすり替えて議論から逃げるのも、欧米でも似た状況にあったようである。投稿者は依然として「デマを信じた女性達」 と繰り返し、宗教右派を批判する体裁で女性を中傷している。 ※「アカデミアに近い女性達は恵まれており「フカフカのソファーに座りながら論評をしている」から「フカソ」等と言われ、市政の女性の苦しみを理解していない、と怒りを向けられました。」 ⇒「フカソ」は、元々は「アカデミアに近い女性達」のひとりである堀あきこ氏が「 「強い者が富を独占し、弱い者は自己責任と言われ、生きづらさから抜けられない構造が現実にあります。ふかふかのソファに座っている人と、ブルーシートに座っている人との間にあまりにも差がある。今回のフェミニズムのトランス排除の問題は、今まで女性が受けてきた差別の問題と深く関わっています。だからこそ『誰かを蹴落として、自分はふかふかのソファーに座っている、そんな社会は間違っている』と私は思うんです。」 http://archive.today/2024.03.09-135156/https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/story_jp_5e05a4c0e4b0b2520d13d3f8/ と、暗に「ブルーシートに座っている」トランス女性≒トランス自認男性・女性自認男性・女装男性に対して、生得的女性は「誰かを蹴落として、自分はふかふかのソファーに座っている」と解釈できる表現をしたために、「アカデミアに近い女性たち」こそが、「誰かを蹴落として、自分はふかふかのソファーに座っている」のではないのか、と当てこすられるようになった。投稿者の書き方では単に「恵まれているあなたにはわからない」というだけの表現に見えるが、実際には「恵まれた」女性が、別のより不利な状況にある女性を犠牲として差し出そうとしたことへの批判が込められた表現である。 ※「そして「トランス女性は女性ではない。あくまで男性だ」と続きます。これはトランスの人々を否定する差別です。「発達障害はない」に通じるエセ医学です。」 「しかし、いくら怒りを向けられても、究極「トランス性などない」という暴論に乗るわけにはいきません。」 ⇒「トランス女性は女性ではない。あくまで男性だ」というのは、ただの事実であり、差別ではない。トランスジェンダーである個人の生物学的性別に言及することを「存在を否定する差別」という人はよくいる。しかし、「現在異性と関連付けられる傾向にある自己表現のスタイル・社会的態度を選択していること」 「医師による診断を受けていること・なんらかの医療処置を行っていること・性別適合手術を受けていること」 「性自認が異性であると主張していること」によって性別は変わらない。これらの条件を備えた個人をトランスジェンダーと呼び、そのような個人は確かに存在しており、ルールについて話し合うためにそのような個人の性別に言及することは「トランスジェンダーの存在を否定すること」ではない。投稿者は発達障害を引き合いに出し、トランスジェンダーの個人の性別に言及することを「ニセ科学」と断じているが、トランスジェンダーであることは必ずしも医学的診断に基づいていないので的外れ。相手の主張を否定するために無関係な権威を引っ張り出して印象操作に利用している。トランスジェンダーの個人の性別に言及することは「究極「トランス性などない」という暴論」ではない。 ※「しかしデマが広く流布することにより、実際にトランス女性のふりをして、女性スペースにはいる男性の性犯罪者が現れたり、SNSで、本物か確認できない自称 : トランス女性が、女性を加害するような発言をしたり。益々、一般女性達の怒りは大きくなっていきます。とはいえ、本当のトランス性の人々は、そんなトランス排斥の言動に怯え、自身を否定される苦しみに、死ぬような思いで耐えています。今まで救いだったネットの空間に充満した悪意に恐怖し、沈黙するか、ネットから距離をおいた人も多い。彼女/ 彼 等を傷つける言説を放っておけば死者が出かねない。なので、今、この問題で「市井の女性」を名乗るトランス排斥の女性達と左派(アカデミアに近い女性と、男性は)分断されたまま膠着状態であり、割とどうにもできません。」 ⇒定義上トランスジェンダーである可能性のある人のうち、都合の悪い振舞をした個人を切り捨てることで、「本当のトランス性の人々」を聖人化している。確かに、トランスジェンダーであることによる不利不便は確実にある中で、常識的な対応をしてきた当事者にとっては、非常に気の毒な状況にある。トランスジェンダーの問題は、思慮の浅い善意の活動家が、問題の詳細が広く知られる前を狙って制度化し、問題が明らかになると不利益を受ける立場の個人からの批判が当事者に向けられるというパターンができている。利害のすり合わせを終え、ルールへの信頼性が回復するまではどうにもならない。投稿者はその利害のすり合わせの端緒としての批判を、当事者の死をちらつかせることで黙らせようとしている (脅迫論法)。「 「市井の女性」を名乗るトランス排斥の女性達」 という名指しには悪意がある。問題は現在の社会的状況ではまだ男女に分離した運用が必要な施設や場面が存在すると考える女性の側にはなく、何の合意形成も説明もなく、「トランス女性は女性です」といったふざけたガスライティングによって女性にとって不利なルール変更を押し切ろうとした「左派(アカデミアに近い女性と、男性) 」 の女性蔑視にある。 ※「もともとは右派の流したデマが原因なのですが、彼等のデマは巧みで、女性達を恐怖させ、冷静さを失わせます。ですので女性達からいくら「左派は私達の気持ちをわかってくれない。寄り添ってくれない」と言われても、デマを元にしたトランス排斥に寄り添えません。」 ⇒トランス女性≒トランス自認男性・女性自認男性・女装男性への忌避感の原因を「右派が流したデマ」に設定し、特定の条件を満たした男性と女性用スペース・サービスを共有することを拒否する女性を「デマに騙された頭は弱いが気の毒な被害者」として扱うことで、批判する女性の問題意識と主体性を否定し、批判の具体的内容を無視することを正当化している。「彼等のデマは巧みで、女性達を恐怖させ、冷静さを失わせます。」 「気持ちをわかってくれない。寄り添ってくれない」と、批判する女性たちを統計的事実に基づく状況認識と社会制度・規則による対応を求める市民ではなく、状況に感情的に反応し、感情の受容による慰撫を求めるある種の女性のステレオタイプとして表現しており、とことん女性蔑視。 ※「女性達は、確かに男性による性加害の被害者ですが、トランス性の人々にとっては加害者になります。」 ⇒男女に分離した施設運営には広範な社会的合意があり、性犯罪加害者・被害者の男女比には顕著な非対称性がある。「トランス性の人々」も例外ではない。特定の条件を備えた男性の性犯罪率が、トランスジェンダーではない男性よりも著しく低く、少なくとも女性並みであるという調査結果はない以上、「トランス性の人々」を例外として扱うことはできない。性犯罪歴のない男性には女性用エリアを自由に使用する権利があると考えないなら、「トランス性の人々」を例外として扱うことはできない。トイレ・浴室・更衣室・寝室などの女性スペースのルールについて話し合う際、当事者の性別に言及すること、「トランス性の人々」の中にもトランスジェンダーではない人々と変わらない割合で犯罪を犯す個人が存在し、その割合によってトランスジェンダーではない個人の女性用スペースの使用を禁じるなら、「トランス性の人々」に対しても同じ扱いを求めることは、「トランス性の人々」に対する加害ではない。 自分や身近な人の安全のために既存の社会通念に基づく施設運営を支持することは、「トランス性の人々」に対する加害ではない。このような主張をする女性は「トランス性の人々にとっては加害者」ではない。 ※「ただ「トランス性の実在を認めない」「トランス女性を属性で加害者と考える」この考え方にだけは同意できません。後は…トランス憎悪の風潮が酷くなり過ぎて、一人一人の違いまで、なかなか…元々は、優しく良識のある方々なのもわかります。デマが悪いのです。」 ⇒性別が問題になる状況のルールについて話し合う際に、当事者の性別に言及することは、 「トランス性の実在を認めない」ことではない。「トランス女性」≒トランス自認男性・女性自認男性・女装男性の女性用エリアの使用に反対する人は「トランス女性を属性で加害者と考え」ているのではなく、他のすべての人と同じように、本人の性別に基づく施設使用を求めているだけ。「トランス女性」は男性であるので、他の男性と同じように、他の男性と同じ理由で、女性用エリアに立ち入らないよう求められているだけ。「トランス憎悪」に駆られている人も中にはいるかもしれないが、ほとんどの人は、男女に分離した運用に社会的合意が成立している場面で、男性を女性として扱うことに反対しているだけ。「元々は、優しく良識のある方々なのもわかります。デマが悪いのです。」という最後の一文が極めつけに不快。投稿者は女性を独立した人格を持つ主体とはまったく考えていない。 (2025年7月25日 16:58:49)
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