シス男の目線と同じくらい、シス女のトランスへのあたりも強い。多分、実感的には同じ強さのトランスフォビアが眠ってる。 トイレと女性専用車両にあたしが入った瞬間にすごい顔する奴は男でも女でも少数いる。 こういうわけで、あたしは本質主義と分離主義を継承するのを拒む。(2017年7月17日)
(2024年10月16日 22:27:50)
タグ: 尾崎日菜子 女性スペース シスジェンダー トランスフォーブ・トランスヘイター
http://archive.today/2017.10.24-082952/https://twitter.com/hinakoozaki/status/886945962907680768 (2024年10月16日 22:27:50)
※「シス女のトランスへのあたり」は、女性自認男性・女装男性でも、男性自認女性でも、「男性に対する警戒・忌避」だと思われる。「トイレと女性専用車両にあたしが入った瞬間にすごい顔する奴」は、女性の場合、「女性用エリアに侵入した男性不審者に対する警戒・侮蔑」で、その否定的態度は「トランスジェンダー」であることではなく、「男性」であることに向けられている。トランスフォビアではない。 ※「シス男の目線と同じくらい」と書いているが、男性が女性自認男性・女装男性や男性自認女性を忌避するとすれば理由は何なのか。よく言われることだが、女性に対して無条件の受容を強要する一方で、当事者が男性に包摂を求めないのはなぜなのか。「いじめっ子は弱いと目をつけた人間に、集中攻撃をかけてその人が弱ったら満足するもんやろうからね。 勝てないと思った人間にはかかってこない。」 https://womaniswoman.whoa.jp/db/w_trans/dbv/pict/1666/ ということではないのか。 ※ 女性が特定の状況でトランスジェンダーを忌避する・否定的態度を向ける理由と、男性がそうする理由は明らかに異なる。双方を同じ「トランスフォビア」とくくるのは間違っている。 ※「本質主義と分離主義を継承するのを拒む。」 ⇒「本質主義」はおそらく「生物学的決定論」のこと。特定の場面での男女に分離した施設運営は、女性の社会進出に伴って普及し、性犯罪加害者・被害者の男女比の非対称性と女性の生活実感に基づいて支持され存続している慣習で、「本質主義」・「生物学的決定論」とは無関係。投稿者は「トランス女性」と「シス女性」を分けて扱うことを「分離主義」と呼んでいるのだと思われるが、生得的女性と、性別違和/性別不合・ジェンダー表現・性自認に基づく一定の条件を満たす生得的男性を同じ属性として扱う合理性・理由・場面は全く存在しない、「社会的存在としては同じ」 https://womaniswoman.whoa.jp/db/w_trans/dbv/pict/1571/ である場面は存在しないため、「分離主義」も存在しない。「トランス女性」と「シス女性」を分けて扱うことを「分離主義」と呼ぶなら、その対義語であろう「Trans Inclusive」は、 「男性による女性の植民地化」。 (2024年11月1日 22:57:49)
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