トランス女性を女性とみなしたくない人たちがいる、内心の問題にとどまるならそれはまあ仕方ない でもわたしとて、 そーゆー人たちのこと女性とは思っていない。 女性になれなかったモドキだと思ってる(2018年12月31日)
(2024年9月23日 06:18:53)
※「トランス女性を女性とみなしたくない人たちがいる、内心の問題にとどまるならそれはまあ仕方ない」 ⇒性別は「みなす/みなしたくない」といった意向の問題ではなく、社会生活には性別に基づいて扱う必要がある場面 (主に医療関係・スポーツ)、男女に分離して運営することに一定の社会的合意が成立している場面がある。ならばこうした場面以外では「トランス女性を女性とみなす」べきなのかというと、そうとも言えない。性別に基づいて扱う必要がない、男女に分離することに合理的理由がない場面では、性別を根拠に扱いを変えることは差別なので。前者の場面では「内心にとどめてくれ」と言う権利はない (無関係の人に知らせないでくれという権利はある)。後者の場面では「トランス女性を女性として扱ってくれ」と言う権利がない (身体の状態・外見・社会的態度について勝手な基準でとやかく言うなという権利はある)。 ※「そーゆー人たちのこと女性とは思っていない。 女性になれなかったモドキだと思ってる」 ⇒男女に分離して運営すべき場面は存在するが、それ以外の場面では性別で扱いを変えるべきではないと考えることと、本人の性別は関係がない。「女性であること」、性別は「なる」ものではないので、投稿者はジェンダーの話をしているのだと思われる。自分に迎合しない相手を ( 「トランス女性を女性とみなしたくない人たち」 )、自分に迎合しないことを理由に、恣意的な基準 ( 「女性になれなかったモドキ」、この「女性」は当然ジェンダーのこと ) を持ち出して見下している。 (2024年10月10日 16:23:43)
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