トランス女性が「女性空間」にいるかもとなった途端に「ペニスを持った性犯罪者の男」をその空間に導き入れ性暴力を容易にさせるenablerとして彼女たちを描き出す、「安全な女性空間」と「危険な男性」を隔てる境界線を脅かす存在として彼女たちを排除する、それがトランスフォビアだからです。(2019年1月11日)
(2024年8月28日 11:03:11)
タグ: 清水晶子 学者 トランスフォーブ・トランスヘイター
http://archive.today/2019.03.08-144912/https://twitter.com/akishmz/status/1083581824725438469 (2024年8月28日 11:03:11)
※ 前半、「「男性身体/男性器への根源的恐怖(大意)」は差別でない」が、その「ほとんど非合理な感情」は「フォビア」であり、それを理由に排除を要求すること、「自分の恐怖を緩和するために特定の集団の安全や尊厳を減じることを要求すること」、恐怖を 「口実に第三者が特定の集団にその安全や尊厳を犠牲にするように求める」ことは「フォビックな暴力」である までは、同意しないが筋は通っている。しかし「トランス女性を「受け入れる」かどうかと言う文脈で「男の体が/ペニス怖い」と主張する人たちの全員でなくても多くはペニスへのフォビアがあるわけではなくトランスフォビアなのではないか」以降は、前半が「男性に対するフォビア」の話だったのに、唐突に「トランスフォビア」にすり替わっている。「私は思っています。」と書いている通り、投稿者がそう思っているだけ。男性の女性用エリアの使用に反対する人が、「トランス女性」の女性用エリアの使用にも反対しているのは、トランスジェンダーであるか否かを問わず、《男性》の女性用エリアの使用に反対しているだけで、「トランスフォビア」は無関係。前半の「男性/ペニスへのフォビア」に基づく排除を「フォビックな暴力」と主張するなら、「すべての男性の女性用エリアからの排除」を批判する理由にはなるが、特定の条件を備えた男性である「トランス女性」にだけ、女性用エリアの使用を正当化する理由にはならない。「トランス女性」は「 「ペニスを持った性犯罪者の男」をその空間に導き入れ性暴力を容易にさせるenabler」ではなく、性悪説に基づく防犯対策を容認するならば、《男性》の一員としてその防犯対策に協力を求められている、「利用者として女性用エリアへ立ち入らないこと」を求められている。 (2024年9月2日 17:10:09)
X(Twitter)でシェア (いいね!は誰でも押せます)
1525